ホワジャックス・オレオ(労働とその距離感について)251125

もし私が本気で働いてもお金を全然得られないようなことがあったのだとしたら、その時は私ではなくお金の方が間違っていると思います。

私にとって労働は、バスケットボールのワンハンドシュートにおける左手のようなものです。最も重要ではないが必須で、本筋を安定させるために役立ちます。表面的には、右手の動きと反対に、ボールに摩擦を与えてボールの飛距離を制限するわけですが、これは本筋を邪魔にするべきではなく(優秀な選手の左手がそうはたらくように、)摩擦によってシュートのクウォリティが上がるべきなのです。

英語の勉強は宗教的、儀式的に行いたいという価値観で動いています。リスニングはリビングのフィットネスバイクに乗りながら、英作文はその運動の後のダイニングで(まるで聖書を丁寧に書き写すように)模範例を能動的に書き写します。リーディングについては、なるべく興味の持てる英語のエッセイを空き時間や電車で気の向くままに読んでいます。

英語の勉強は、社会的意味と個人的な意味が両方多く含まれているので、その宗教的存在感は、右手と左手の距離感の象徴、スタビライザーそのものかも知れません。