電車では将棋

電車で将棋をできないと感じるのは、負荷の低い状況で自発的に何かやること自体が持つ抵抗感を将棋の持つ面倒さと取り違えているだけである。むしろ将棋は負荷の高い行為の中では最も手近な存在であり、時間を腐らせないための先鋭化された装置として捉えよう。